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口をすぼめる。きりかえようと髪を掻き上げて、我に返る。
そうだった。短いのだった。
息を吐く。
あれから、一週間くらいは経つのか。
目が覚めて、髪が短いことに気づいて、絶望した。だけど静かだった。昏い穴の底を見つめているような気持ちだった。自分はついに狂ったのかと、静かに思った。
ただ汚かったのだ。自分のすべてが本当に汚かった。髪に纏わりつくあの穢らわしい重さに耐えられなかった。とにかく自分の身体から、引き剥がしたかった。だから切らなければと、思った。
なんて、おそろしいことをしたのだろう。
なんて、馬鹿なことをしたのだろう。
自分の異常に気づくたびに、こんなふうに疲れた絶望を味わってきた。あの日も目覚めて、そんな絶望に満たされた。
だけど、あの日はそれだけではなかった。深淵のなかに浮かびあがってきた面影に、動くこともやめてしまった静かな胸が急にきつく痛んだ。
混乱のなかで見上げた薫君の顔。そして優しく自分を抱く、あの悲しそうな顔。
自分はいつも彼にあんな顔をさせている。しかも、今までのどれよりも、いちばん痛くて切ない、顔だった。
泣いていないと、微笑む顔を覚えている。白い湯気のなかで揺れる紅い髪を覚えている。抱き締める身体の揺れを、覚えている。
自分が、彼を、護ると決めたのに。
腕だって。彼に大きな傷を負わせてしまうなんて。
ベーシストなのだ。よりによって、利き手の左腕なのだ。自分のために、彼が傷を負ったのだ。どうやったって償えやしない。自分の命を捧げたって、彼の傷は、消えない。
だけどせめて、彼の腕を傷つけたのが、汝緒と紺でなくて、よかった――。そんな思いに、罪を増す重さが胸を刺す。事実薫君を傷つけたふたりを憎めない自分に、苦しくなる。
憎めない。
憎めない。
嫌いになれない。どうしても。
汝緒たちが、自分を好いていたと言っていた。
なんて、悲しいのか。なんて、悲しいことなのか。ありえないことだと思っているのに、だけどどこかで、疑いようがないと思っている。信じられるとか信じられないとか、そんな次元など、超えている。ただ悲しくて悲しくて、どうしようもない。
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