序章(1話)

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 アクセルを強く践むと、車内で揺らいでいた煙が窓の外へと勢いよく消えた。高速を抜けて街へと下り、背の高い白いビルを回り込んで裏に出る。  警備員がゲートを開ける間に歩道を埋める人だかりに顔を向ける。ガラス越しに遠い悲鳴が聞こえてくる。ステアリングをまわしながら右手を上げて、敷地に滑り込む。  スライドする視界の中に、女の子たちの後ろからめいっぱい背を伸ばして手を振る男の子が目に付いた。歳は二、三個くらいしか変わらないだろう。嬉しいことに、LSDには男のファンも多い。  奥の駐車スペースで愛車のドアを開ける。サイドミラーを見ると、ゲートの前にはまだ人の塊があり、立ちはだかる警備員の青い背中がふたつ見えた。だいたい七、八十人か。テレビの公開収録は、日時も場所も特定されやすい。当選者が仲間に漏らして広まるのだ。おそらくあの人垣の中には、観覧者以外もいる。  腰を伸ばしきると再び細い悲鳴が聞こえはじめた。まだ遠いのに、そちらを向くと名前を絶叫される。  車のキイを軽く投げて手の中で弄びながら歩く。警備の男性がなだめるように手を上げている。空は白く曇っているが、サングラスは外せない。口元をどんなに作れても、目だけは苦笑いが隠せないのだ。  ファンの中には熱狂的で過剰なのもいる。とくにインディーズ時代からのファンには、独占欲に目を鋭くする子もいるのだ。気持ちはわからないわけではない。言い切るのはくすぐったいが、彼女たちにとっては自分だけの小さな宝物がたくさんの目に晒され、触れられるようになってしまったのだ。  どれほど大きくなろうとも距離など作らない。いつまでも変わらない。そういうアーティストもいるが無理がある。明確な物質的距離が生まれるのだ。ライヴハウスのキャパシティが大きくなれば近くで見ることも困難になるし、待てば当然のように会話ができたのが今では警備員に押し返される。だから彼女たちは必死になり、どこまでも追い掛けて自分の存在を主張し、気持ちを昂ぶらせてたまにやりすぎる。バンドマンであると同時に、当然バンドのファンであった自分だからこそ、多少ファン心理というものは理解できる。
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