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演奏する曲はインディーズ時代のもので、古いファンには懐かしいものだろうし、それは俺たちにとっても同じだ。だから葵も哀も早めにスタジオ入りをしてギターのハモリを点検しているのだ。ふたりは若気の至りであまりに複雑にしてしまったことを散々後悔していた。
「哀、そこがもうちょっと、そう、そこをもっとよく聞かせて」
スタジオに入った俺と皓は、アンプと向かい合ってギターを唸らせているふたつの細い背中に声をかけた。
「あらおはよう」
葵が振り返り、頬にかかる黒髪を外す。
「ずいぶん気合い入ってるな」
「まあ、久しぶりだからね。さすがのアタシも緊張してるってわけよ」
フライングVを掲げて、芝居がかったきな臭い声で片目を瞑る。ファンは葵を女優という。黒いドレスの胸元が薄くなければ、確かにそう見えるのかもしれない。
「よおっす。晧、起きてきたか」
隣でペダルを弄っている哀が顔を上げて、俺と晧を見比べる。晧が舌打ちをすると、哀はネボスケ、と笑った。
「てめえ起こしていけよ」
「何度も起こしたじゃねえかよ、俺は急いでたんだ」
皓は大口を開けて笑う兄のピンク色の長髪を小突いた。
いつもと変わらない態度の中に、誰からも漂うわずかな緊張感。どこか抑圧された躁の気配を感じる。それが昔に帰ったように感じられて、俺はなんとなく、居心地の良さを覚えていた。
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