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そっちの奴か――。
思わず眉を寄せた。音楽業界に限らず、芸術界には同性愛者は山ほどいる。もはや嫌悪など感じない。しかしその痕跡に、俺はなんとなく不快感を覚えた。
橙色の男が金髪の男の肩を抱き寄せた。
擦れ違う。
金髪の男が顔を上げた。目が合った。そのとき、男が足を止めたのかと思うほど、時間が重く流れるような錯覚を起こした。
男の目は澄んでいて、そしてその奥は昏く、濁っていた。
顔は綺麗だが、目が死んでいる――。
緩く瞬きをした男は、再び視線を下げ、歩いて行った。俺はその場に立ち竦んだまま、遠ざかる背中を見つめていた。
「気に入っちゃった?」
葵が笑いを零し、肩に手を乗せてくる。我に返って顔を戻す。
「馬鹿言うな。男は興味ねえよ」
「あーら、そう。ずいぶん熱心に見ていたようだけど」
含み笑いをする葵を無視して楽屋に入る。
「待ってよ、もう。薫ったらわかりやすいんだから」
「勝手に言ってろ、馬鹿」
「あら酷い。だけどアタシには薫のことは何でもわかるのよ」
畳の上へと腰を下ろして煙草に火を点ける。葵が両手を畳についてにじり寄ってくるのに、背を向けて煙を吐き出す。
「あの子ね。凄く良い子よ」
「知ってんのか」
「あら、聞きたい?」
「……もういい」
「ゴメンゴメン。冗談よ」
葵が背中へと覆い被さり、耳元へ息を吹きかける。頭の中に割れるような悲鳴が聞こえてくる。どうしてファンの中には男同士の絡みが見たいと思うのがいるのか。なにより、そういう類の冗談が好きなのがこの男だ。先日もわざわざ事務所に送られてきた自分たちの恋愛話が描かれた漫画を思い出し、俺は背中の男から逃げるようにすこしだけ前に倒れた。
「あの子ね。良い子よ、とても」
「さっき聞いたよ」
葵が立ち上がった。俺のJPSの箱から一本抜き取り、張りのある漆黒の唇に挟む。
正面に膝をついた。肩に手が乗る。顔の上に影が落ちてくる。
「でも、とても淋しい子」
鼻の先で囁く声に黙る。葵は俺の煙草から、火を持っていった。
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