(三)

6/7
前へ
/240ページ
次へ
 救急隊が現れた時に、息も絶え絶えに恵子は今まで隠していた思いを明かした。 「い、今まで……ごめんなさいね。あ、あなたを、あなたのことを忘れた私を、許してちょうだい」  夢の中で発していた謝罪の言葉が、難なく恵子の口から出てきた。 「な、何を馬鹿なことを……仕方ないだろう、お前は認知症なんだ、病気だったんだから。そんなこと、そんなこと私は何も気にしていなかったよ」  たとえ悩んだことはあったとしても、優作は恵子が考えるほど意固地になっていなかった。 「あ、相変わらず名前の通り、あなたは優しいのね。あ、あなたと結婚できて、ほ、本当に、本当に、幸せだった」 「け、恵子……お前……お願いだから、もう少し頑張ってくれ。私にはお前が必要なんだよ」  思いがけない告白に、優作の胸が痛んだ。妻の命が風前の灯火だと気づいていたからだ。 「あ、ありがとう。こんな私を愛してくれて。わ、私もあなたことを…… 娘たちを……愛して、た……」  今まで言えなかった言葉を残し、恵子は息を引き取った。 「け、恵子、恵子ぉぉぉ……」  最後の最後で奇跡が起きて、岩崎夫妻の心が通うことができたのだ。妻の心からの告白を受け、優作は無念の涙を流した。  単なる義務からではなく、愛すればこその介護生活が終わりを迎えた瞬間だった。
/240ページ

最初のコメントを投稿しよう!

110人が本棚に入れています
本棚に追加