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「深谷……」
「なんだよ」
「わたし、深谷が好きよ」
「嘘つけ」
すっかり果ててしまって、俺らは服を着る。布団を畳む。家財をリュックに詰め込んでいつ避難してもいいように準備をした。
「嘘じゃない、ほんと」
「ストックホルム症候群って、知ってるか? 長いこと、犯罪者と一緒にいることで絆されちまうやつだ。お前はそれに罹ってんだよ」
「知らない。知らないことは関係ない」
「お前な……」
突然両肩を掴まれ、ぐいと引き寄せられた。鎖骨同士がゴツリと音を立てたが、サイレンに有耶無耶にされる。
「じゃあなんで、わたしを捨てようとするのよ!!」
「は……?」
「深谷はわたしを捨てるから、今日はあんなに優しかったんでしょう!?」
「捨てるんじゃねえよ……解放してやるんだ」
漸く冷めたはずの頬に柔らかい熱が、鋭く突き刺さる。
彼女に頬を打たれた。
「自分勝手に……男ってみんなそう。さして美しくもない美学と美徳を、さもプライドかのようにひけらかして、わたしを弄んでは消えていく。白痴だなんだって捨てていく……いいのよ、わたしはビッチだろうがヤリマンだろうがなんだっていいの!! ただ、誰かに愛されたいだけなのよ……」
薄っぺらい言葉だと思った。だが、しっぺ返しをすべく振り上げた手のひらが彼女に届くことはもうなかった。
深淵と名乗ったこの女の、いかにあさましいことであるかを悟った俺は、肉欲だけでなく心までも彼女に支配されているのかもしれない。
「俺たちはここで別れたほうがいいに決まってる。お前は俺から離れた方が幸せになるに決まってる」
「それを決めるのはわたしよ。たしかに深谷はわたしに非道いことをした。けれど、それがわたしの幸せでもあったのよ」
「よくある話だな。DV男から離れられねえ女の言うことだ」
「だけど、深谷は違ったでしょう? 今日のあのセックスで分かった……セックスって、不思議よね。人のむき出しの、すべてがあの行為に現れるのよ。深谷になにがあったかは知らないけれど、まるで別人だったもの」
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