〈三〉

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 バイト先のBARは午前3時、むしろ客が吹きだまっていた。雇われバーテンのもみあげとあごひげが繋がった生田さんが、俺の訪問を心から喜び、マスターを呼んでくる。 「……なに用だい」  事務所へと通され、丸い折り畳み椅子へと俺を誘導した。きっとマスターはお見通しだ。訝しむような目つきを俺へと向ける。 「すんません。金を抜き取ったのは俺です。金を返しに来ました」  稼いだ100万のうち、50万円の入った封筒を差し出すと白髪交じりの頭を掻きあげて、ふんだくった。彼は震える手でポケットから赤いマールヴォロを1本抜き取った。すかさず俺はライターで火を点けてやる。 「……これだけ、か」  話にならん、と彼は緑のデスクマットに封筒を投げやる。いつものように灰を黒灰皿へ落とすようなことはせずに、床へと放った。 「これだけ……とは?」 「お前さんは、慰謝料ってのを分かってないみてえだな、あ? こちとら1万の利益を出すために10万の心血を注いで商売やってんだ。正直に言えや。お前さんは、いくら盗んだんだ?」 「……30万、です」 「したら、いくら出せばいいのか分かってるよなあ?」  凍り付くのが分かる。眼球が重力に引っ張られて、血しぶきよりずっと安っぽい汗がしたたり落ちる。彼の顔を見れば心もろとも食いつぶされそうだ。握り拳を開いて、ケツポケットに入れた残りの50万のことを考えた。 「なんなら、便利な世の中だ。24時間受け付けやってる消費者金融ってのもあるんだ。どうだ、借りてこいとは言わんがここは勤務先だ。所得履歴も発行してやろう……」  クソッ、クソが!! 足元見やがって!!  虚偽の所得履歴発行したらテメーはお終いだ、豚箱行だ!! もれなく俺もだがな!! 「それともなにか?」  言葉の継げない俺へと、さらに絶望的な言葉を投げかけた。 「ウチのケツ持ちに相談してみるか? いいんだぜ、俺は。こういうときの用心棒だろうが。使わない手はねえんだ。あ? そうすっか」  電話の子機に躊躇なく手を伸ばすのを見て俺は耐えられなかった。胃からせりあがる酸っぱい液体を必死に飲み込んで、ケツポケットの50万を机の上に出す。 「ひ……100万で、勘弁してください」  事務所は静寂に包まれた。どんな轟音よりも鼓膜の痛む静寂だった。
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