融けない氷

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「秋津」 ある日、屋敷の離れにある庭で、秋津は名を呼ばれました。 屋敷では誰もが「秋中将」とか「秋姫」と呼び、名前で呼ばれることなどなかったため、秋津はとても驚きました。 見ればそこには懐かしい顔が。 尋でした。 成長し、男らしい精悍さを帯びた尋は、屋敷の警護として、勤めていたのでした。 「尋…さま」 一瞬、過去に戻って昔のように幼なじみの名を呼びかけた秋津でしたが、すぐに自分の立場を思い出しました。 今の秋津は秋中将。つまり、この屋敷の主である中将の寵愛を受けた宮女です。 他の男性と一線を越えて馴れ馴れしくすることは幼なじみと言えども許されません。 そこに見えない壁を感じとった尋の顔から、それまでの笑みがすうっと消えました。 「そうだ。秋中将と呼ばなければいけないのだな」 「…」 「少し話をしてもいいか?」 「ここは中将の庭。互いに中将に仕える身なれば」 「そう…ですか。失礼いたした」 尋は、キュッと唇を噛み締めた。 「では職務に戻ります故、これにて」 サッと一礼して、足早に立ち去る尋の背中を秋津は無言で見送りました。 「元気がないな?姫よ」 夜の闇の中、寄り添って寝る中将が耳許でそっと囁きました。 「いえ、ご心配には及びませぬ」 「そうか。大事にいたせよ」 中将は優しく秋津の髪を撫で、頬に口づけました。 なぜか溢れる涙を、秋津は気づかれないようにそっと拭いました。
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