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「──好きか?」
不意に優しい声が頭上から降って来て、私はこくりと頷いた。
その人は空いている方の手を宙に差し出し、何かを掴むと、私の目の前でその手を開いてくれた。
零れた梅の花が一輪だけある。たった今、あの枝から零れたばかりの梅。
私に、くれるのだろうか。
礼を言うのも忘れた私はその白い手から梅の花を取ると、彼は再び一緒に歩き出した。
どれくらい進んで行ったのかは覚えていないけれど、疲れは感じなかった。
どこまでも、どこまでも自由に歩いて行ける。
恐ろしいと感じていた森が、命に満ちた場所であるように思えた。
そうしてやがて、見覚えのある建物が見えてきた。
深い緑たちの中によく映える古めかしい茶色は、見覚えのある、戻りたかった場所である何よりの証だった。
この森のカミを奉るお社(やしろ)。
その周りに沢山の火が右往左往している。ムラの人々が社の周りに集まっていた。
人の集団の中に、誰よりも会いたかった姿が見えて、私は思わず隣の人の手を離して駆け出した。
「かあさまっ!!」
叫ぶと、一人のムラの男が私に気づく。
「沙耶だ!」
その声を合図に、皆が私の姿を認めるなり、沙耶だ、沙耶だ、と口々に叫んだ。
「帰ってきたぞ!カミの森から!!」
地面に膝をつき、両腕を広げる母の胸に一目散に飛び込んだ。
「沙耶……!」
ぎゅっと抱きしめられて、我慢していた涙が一気に溢れ、わんわんと声を上げて泣いてしまった。
母の隣に父もいた。
森の中ではぐれたはずの兄もいる。
良かった。戻ってこられた。
「ああ、沙耶…!何故森へなど入ったのです。危険だと何度言ったら分かるの。カミの怒りに触れたらどうするつもりだったのです」
入った時は昼だったのに、今はもう夜だ。
森の中は時間の存在を忘れさせるものがあったとは言え、そんなに長い時間いたとは思いもしなかった。
「こんなに衣を汚して……髪もまあ、こんなに……」
私の乱れた髪を何度も撫で、母は私の背をもう一度擦った。
周囲のムラの人々も良かったと言い合い、笑っている。
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