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「沙耶、」
しわがれた声に、母の胸から顔を上げると、老婆が私を覗き込んでいた。
森に仕える、私の曾祖母の姉、大巫女だ。
深い皺が刻まれた顔は、辺りの火の光に照らされ、幼い私の目には少し怖く映った。
「一人で戻ってこられたのかね」
母に抱かれながら首を横に振った。一人ではとても、戻っては来られなかった。
「誰に、連れて来てもらったのかね」
「……おとこのひと」
そう言って、自分が手を払ってしまった人の姿がある森の方を見やった。
だが、いるはずのところには誰もいない。暗い森が続き、何も見えなくなっていた。
帰ってしまったのだろうか。私がムラの人々に会えたから。
「人に?あの森に人がいたのですか、沙耶」
頷くと、母は何やら顔色を変えて、隣の父を見上げ、それから大巫女に視線をやった。
大巫女は目を細め、森を見やってから額の前で両手を合わせ、森を仰ぐ。
「そうか、人がいたか。このカミの森に」
巫女の装束が風に大きく揺れている。掌にある梅が途端に香った気がした。
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