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「兄上は、大王が巫女を差し出すよう御命じになれば、従うのか」
「無論。おそらくその暁に大王は私に名誉をお与えになるだろう」
顔を両手で覆った。胸の内が声にならない悲鳴で押し潰されそうだ。
どんなに望まれても古のカミを蔑ろにする大王のもとになど行きたくはない。地位のためだけに誰かに捧げる身ではない。
まほろばが私のムラと森に無理を強いるから、ムラの人々が彼らの無理難題に苦しんだから、兄は苦渋の決断で私に妾になるよう頼んだのだ。
私はムラと森を守ることが出来るのならと、一生離れるはずのなかった森を出た。
なのに、これはどういうことなのか。
「大王さえも興味を持つ沙耶がこの手にある。それを言いふらすほどに、どうしようもない優越感に浸れる。その優越感に浸りたくなった時に沙耶のもとへ行くのだ。沙耶は驚いて嫌がりながらも私を受け入れる。受け入れざるを得ない。私の腕に抱かれ、乱れるのだ。その姿をこの目にすることで更に優越感は増した」
耐えてきたはずの涙が足元に落ちて行った。止まらなかった。
「沙耶は何でも言うことを聞くぞ。自分を捧げたムラと森を今でも強く愛している愚かな女だからな」
二人の笑い声が聞こえる。
「その巫女も、哀れなものですね」
弟は言う。
「それだけ森を愛していながらその森から引き離され、守り抜いてきた巫女としての資格を兄上に奪われ、挙句の果てには権力のために売り渡されようとしているなど」
「我が弟ながら嫌な言い方をするものだ。ああ、そうだ、もうすぐここに沙耶が来る。兄弟のよしみだ、お前が気に入ったのなら一晩貸してやってもいい」
足が震えた。手が震えた。
今まで懸命に張っていた何かが、痛ましいほどにきりきりと張り詰めて痛みを生む。
「ご冗談を。私はいくら美しい女であろうと田舎者は好かない」
胸に溢れて止まらなくなるものが、怒りなのか、悲しみなのかは判別がつかなかった。
自分の中に張り詰めていた糸がぷつりと切れて虚しく落ちて行ったことだけは明確に感じていた。
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