契り

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「しかし兄上、あの森の話は私も聞き及んでおりますが、かなり強大なカミが古来住み着いているとか。知りませぬぞ、兄上に祟りがあっても」 「結局はカミなど化け物に過ぎぬ。殺してしまえばよいのだ」 それ以上聞くことは出来なかった。聞けば何かが崩壊してしまいそうだった。 私の足は本能のままに自分の部屋に向かって走り出す。背後から夫たちの笑い声が聞こえ、いつまでも耳元についてくるかのようだった。 回廊を渡り、簾を越え、そのまま奥の寝所に入り込んだ。私の逃げ場はここしかなかった。ここしか知らなかった。 あまり陽の光が射しこまないそこで、私の足は途端に力が抜けて動かなくなる。どうしたって息は苦しかった。夫の声が何度も反芻され、目元からこれでもかと涙を溢れさせた。 「沙耶さま?お戻りに?」 物音を聞きつけたカヤが私を呼んだ。返事をしようにも嗚咽しか出てこない。 いつだって、夫は笑みを湛えていても、どこか非情で冷ややかに私を見ていた。あの目はそういう意味だった。 夫は、地位のために私をまほろばに立った王に渡すことも厭わない。 愛など存在しない。私に対してそんなものは微塵も抱いていない。 ただ自分の優越感を満たしたいためだけに、私を──。 自分の身体を抱き締め、その場に崩れ落ちた。咽ぶように泣くことしか出来なかった。 「沙耶さま、どうなさいました?沙耶さま」 御簾を越えてカヤと老婆の侍女が入ってくる。 「旦那様に何か言われたのですか?沙耶さま、沙耶さま」 カヤは蹲る私を上から覆うように背を撫でて宥めようとした。 理由を話そうにも、言葉が口から出てこない。発せられるのは嗚咽だけだ。 何度も不規則な呼吸が落ちていき、咽ぶような声を抑えようとしても止まらなかった。
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