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校内に入ると、佐和の眩暈、動悸息切れはさらにひどくなった。寒くもないのに、ジャケット代わりに羽織った白衣の前をかき合せる。
「先生、おはよ~」
「佐和センセー大丈夫? 具合悪いの~?」
「俺らが保健室連れてってやろーか?」
野太い声が、ヨロヨロと歩く佐和に掛けられる。
「いや……大丈夫だ。ありがとう」
親切な生徒たちに引きつった笑顔で断ると、 生徒たちは心配そうにしながらも、元気に佐和を追い越していった。
追い越しざま、元気が有り余っている生徒たちはじゃれ合い、互いの尻を叩き合った。
(ううっ、心臓に悪いぜ……)
たまらず目を伏せる。
佐和は職員室を目指し、長い廊下を歩いている。その廊下、もしくは上ってきた階段には、朝のホームルーム前の生徒たちがそこかしこでふざけ、笑い転げている。
(しっかりしろ! 俺! あいつらはBL御用達、華奢な美少年、なんかじゃないぞ!)
すれ違う生徒たちをちゃんと見れば、彼らはちっとも可憐でも美少年でもないとわかる。
教師の佐和より高い身長、逞しくぶっとい腕、分厚い胸板、でっかい尻。
ヘラヘラ笑っているのん気な顔には、ニキビがいくつもあって、うっすらと髭も見える。
白く滑らかな肌――などでは、決してない。
大概の生徒がそんなもので、ひっくり返っても、佐和の職場はボーイズラブの舞台にはなりえないのだ。
それなのに――。
(なんでだ~?!)
佐和の脳内では、生徒たちの『攻受』の選別が止まらない。
窓辺の少し細身のあいつは受。今廊下を横切った、背の高いあいつは攻――と。
佐和は不埒な妄想を止めようと、ふしだらな我が頭をブンブンと振った。
こんなことでは、夏服になる来年の六月まで身が持たない。
夏休みが始まる前――一学期までの佐和の生活はいたって平凡だった。
佐和はこの学び舎、私立柊成(しゅうせい)高校で化学教師をしている。
大学卒業後すぐに赴任したのでもう六年目だが、いまだ担任を持ったことはなく、週に八時間しか授業がない非常に暇な教員だ。
かといって、元来ものぐさな性質の佐和は、そのことに特に不満もなく、その代り大きなやりがいもないが、穏やかな教師生活を送ることができて、それなりに満足だった。
それが一変したのは、夏の終わりだ。
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