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桂が出張に出かけてから、三日後。
佐和は、いつものように白衣で、化学室にいた。
(明日か、深山先生が帰ってくるのは……)
化学室のテーブルに実験器具を並べながら、ため息を吐いた。
「……先生、この箱ですか? 新しい試験管って」
隣の佐和の巣、化学科準備室に続く扉が開き、海枝が現れた。
(試験管……)
海枝が抱える箱に、佐和の頬が赤らむ。
『ほぉら、佐和先生、もうこんなに奥まで入っちゃった』
桂の淫猥な声が蘇り、佐和の心拍数が上がる。
「本田先生?」
「あ! そう! それ!」
教え子の怪訝そうな顔に、我に返る。
(いかん! 俺はナニを妄想してるんだ?!)
ブンブンと頭を振る。その姿をまた、海枝に訝しがられる。
「本田先生、疲れてるんですか? 今日はずっと、上の空ですね」
海枝が、新しい試験管が入った箱を抱え、佐和の元にやって来る。新品の箱だが――一本足りないことは、生徒には絶対に知られてはならない。
佐和は懸命に笑顔を作った。
「そ、そんなことないぞ! 暇な俺が疲れてるわけないだろ」
無理やり笑って見せると、海枝の視線がより厳しくなったようだった――。
(くっそ~、深山のせいで!)
桂の思惑通り、佐和は実験で試験管を見るたび、悩まされるようになった。
授業中でも、その他の時間でもお構いなしに、あの日の強烈なセクハラが蘇り、佐和を苦しめる。
そして――。
(もう一度だけ……)
試験管を握る手が、熱くなるのを止められない。
「先生……やっぱり変ですよ」
「ええ?!」
握った試験管を落としそうになる。
「本田先生、今、深山先生と二人で、尚紀に勉強を教えてるんですよね? ……そのせいですか?」
「えええええ?!」
特進科トップの成績の海枝は頭がいいだけでなく、勘も働くらしい。
佐和の顔が強張る。
海枝の視線が、刑事のように鋭くなる。
「深山先生と、なにかあったんですか?」
低く訊かれ、佐和は言葉を詰まらせた。
(ナニがあったかなんて……生徒には絶対に言えない!)
佐和の目が泳ぎ出すと、海枝のきれいな顔がどんどん険しくなる。
ふと、佐和は思い出した。
自分なんかをちゃんと先生と呼んでくれる、明るく可愛い海枝の、思い人のことを。
(そっか……海枝は深山のことが……)
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