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彼はわたしを舟の上に引き揚げ、櫓を漕ぎはじめた。
わたしはこれからの新しい生活に胸を膨らませていた。
楽しくて、嬉しくて、鼻歌を歌う。
「………お前、まさか。セイレーン……とかいうやつじゃないだろうな」
わたしの歌声を聞いた彼は、なぜか訝しげな顔で訊ねてきた。
「え? なぁに? セイレーンって。なんのおはなし?」
「いや、気にしないでくれ。まぁ、こんな、のほほんとしたやつが、恐ろしい海の怪物なわけないか………」
彼は目を細めて、くくっと笑い声をあげ、わたしの頭をくしゃくしゃと撫でる。
わたしはやっぱり嬉しくて、さらに大きな声で歌を歌った。
ひとしきり歌って、後ろを振り向く。
わたしを生み、優しく包み込んで、ここまで育んでくれた海が、静かに見送ってくれていた。
またね、と心の中で呟く。
大好きな海、今までありがとう。
また、会いに来るからね。
わたしは目の前の広い背中にぎゅっと抱きつきながら思う。
きっと、きっと、また会いに来るよ。
彼と一緒に。彼の舟に乗って。
それまで元気でね。
じゃあ、また……。
はるか頭上の月から零れ落ちた光が、わたしたちと海を照らしている。
輝かしい薔薇色の未来に思いを馳せて、わたしはゆっくりと瞼を閉じた。
完
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