2人が本棚に入れています
本棚に追加
翔くんは、メールに「またね」をよくつけていた。
「俺は、おまえに会えるのが今日が最後だなんて思うような、覚悟ないよ。また、会いたい。明日も明後日も、明々後日も。この先も、ずっと、またねって言いたい」
そう言った声が震えているのがわかる。
先ほどからずっと片手で目を覆う翔くんは、泣いているのかもしれなかった。
そんな彼の泣き顔を見たのは、術後の麻酔がまだ効いている虚ろなときだった。
手術室から出た私を両親と翔くんが覗きこみ、母と翔くんが絶句して涙ぐんでしまったのだ。
そんなふたりの肩を父が叩いて、そこで私の記憶はない。
「一番辛いのはおまえだと思うけど、俺はおまえが生きていてくれて本当に良かったと思ってるんだ」
人は長生きすればするほど何かを失っていくのではないか。
そんな風に思ったときがあった。
失うものも、あるのだろう。
そして、得るものも、あるのだろう。
毎朝一緒に走るのがあたりまえだった。
走り終えた後は朝食をとり、それぞれの仕事場に向かう。
帰る時間はばらばらで、翔くんは遅くなることが多かったから、私は先にひとりで夕食を終えることが多かった。
けれど、翌朝はまた一緒に走るのだ。
ゆっくり、ゆっくり。
5センチ10センチの歩みだとしても、また、一緒に歩きたい。そんな風に、翔くんは語った。
気づけば、以来、私の幻肢痛(ファントムペイン)は徐々に痛みの頻度が少なくなり、いつの間にか消えていた。
最初のコメントを投稿しよう!