プロローグ

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プロローグ  インド・ムンバイ――かつてはボンベイと呼ばれたその都市は、インド最大の都市にして南アジアを代表する世界都市の一つである。インド西岸に位置し、天然の良港に恵まれたその都市は、インド全体で取り扱う海上貨物の半数以上を占める港湾大都市でもあった。多宗教多民族の独特な文化は海外からは魅惑的な都市として高い評価を受け、毎年数多くの観光客が押し寄せる観光名所でもある。  観光客の宿泊するホテルや観光地は近代都市らしく整備がされてはいるものの、一歩中心部を外れると、極端な人口密集地域であるスラム街が広がっているところは、ニューデリー等他の大都市と同じであり、不衛生な環境下で住民は生活を送っていた。  スラム街にあっても、そこに住む住民同士はお互いを助け合いながら結構仲良くやっているものだ。スラムの中を人がやっとすれ違えるかどうかという道幅を進めば、空に向かって何層にも折り重なる屋根と洗濯物。通路に沿ってただ木材が積み上げられただけの階段状になった道を少しずつ上っていくと、いつの間にか地面が消えて、トタン板やら鉄板やら木片やらが重なっただけの家の屋根の高さにまで上がっている。地図なんてものはなく、ここの住民はみんな自分の頭の中に道を刻みつけていた。  そんな超密集地であるスラムの中ほどの、少し広くなった場所に、普段にも増して多くの人が集まって騒然となっている場所があった。 「おばさん、あれなんだい?」 「誰かが犬に噛まれたって聞こえたよ」 「そりゃ大変だ」  サルのように屋根に登りながら、地元民の少年がりんごをかじっている。話しかけたおばさんとは顔見知りのようだ。 「なんでまたこんな大騒ぎになってるんだろうね」 「そんなこと知りやしないよ」  おばさんは洗濯物を干す手を休めない。カゴの中にはまだまだたくさんのシーツが山のように入っていた。 犬に噛まれるなんてそう珍しいことではない。娯楽が少ないここの場所では、そんな出来事でも人々の関心を惹き付けるが、今回は何か他に関心を寄せる原因があるのかもしれない。地元民の少年は器用に屋根を伝い、広場の方へ降りていった。
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