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そんなに恐ろしい話が流布しているというのに、数は減ったといえども人の行き来は完全には止まらない。
それは通う女への見栄であり、生きるための糧を得るためであり、そして……
「……ほう、出たか」
苦しげに上がっていた軋みが消える。
それと同時に前方にぼぅっとした明かりを感じた男は、面白そうに口元に笑みを広げると牛車の前簾を片腕で上げた。
淡い色の袍を纏った男である。
歳は、若い。
口元だけにほのかな笑みを宿した面は、常ならざる事に直面しているというのにたっぷりと余裕を残している。
そんな男が、新月の闇の中に灯った青白い光へと笑みを向けた。
女、である。
この闇の中でも分かる、たっぷりとした重い黒髪。
重ねられた衣は紅梅の襲。
その衣をユラユラと揺らめかせて、女の白い手が男を招く。
反対の手で掲げられた檜扇が顔を隠していてその相貌は伺えない。
だが、その隠された面立ちは美しいものであるはずだと、なぜか思わせる空気があった。
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