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ルルウはバルトから視線を外し、地下室へと続く防音扉を振り返った。
フィリアと初めて会ったのは、六歳の頃だ。彼女が吸血鬼だと知らされぬまま、当時軍の幹部だった父親に連れられて、毎日のように地下室を訪れた。
父親がこの計画にどれだけ賛同していたのかは分からないし、今となっては知るよしもない。
軍の恐ろしい計画を知ったのは、その父親が吸血鬼との戦いで命を落としてからだった。
「ーーさっき、彼女とチョコレートを食べたんだ」
唐突に語り始めたルルウに、バルトは目を瞬かせる。
「彼女のために用意した特別なもので、中にラズベリーが、人間の血液が入ってた」
勧められたから、仕方なく食べたあのチョコレート。
普通の人間なら到底口にできるものではない。なのにーー
「“おいしかった”」
そう告げた唇が、微かに震えた。バルトが息を呑むけはいがする。
「俺は、もう一つの実験材料なんだよ。失敗することを願っていたが、残念なことにこっちも成功したみたいだ」
少し前から兆候はあったのだ。夜目がきくようになったり、愛用の剣が随分軽くなったように感じたり。
チョコレートに含まれていた、あの血液。あれを口にしたのが、最後のきっかけになったのだろう。
覚悟はとうにできていた。彼女が吸血鬼だと知った上で、一緒にいることを選んだ時から。
しかしこうも急激に体が変化していくのが分かると、底知れない恐怖がわき上がってくる。
まず何よりも、日向にいるのが苦痛だった。吸血鬼が日光を苦手とするのは確からしい。
明るいところでは目も霞む。
もう人間ではないのだと、嫌でも実感させられた。
「これで分かっただろ。軍の最終目標は、元人間の吸血鬼ーー人間の心を持った吸血鬼を生み出すことなんだ。こんなことが許されると思うか?」
バルトは何も答えなかった。ただゆっくりと、首を横に振る。
頭の回転が早い男だ。事態を重くみて、パートナーが重大な秘密を自分に打ち明けた理由を考えているのかもしれない。
『ルルウ』と、彼女の声が耳朶に蘇る。
フィリアの体は冷たくて、触ていると指の先から凍っていくような感覚に陥る。
しかし驚くべきことに、彼女の心はルルウの知っている誰よりも温かかった。
人間の傲慢さや欲深さとは無縁で、純粋無垢な彼女。あれほど麗しい生き物を、どうして愛さずにいられるだろう。
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