第一章

2/20
28人が本棚に入れています
本棚に追加
/236ページ
 天の滴が、地上を濡らす。  疲れ切った体をソファへと投げ出し、ルキウスは雨のまだ降りやまぬ窓の外を眺めていた。  ルキウスは義父、クラウディウスのことが好きだった。  決して聡明ではなかったが、優しく、妻の連れ子であった自分にも、溢れるほどの愛情を与えてくれた。  その義父が亡くなった。今朝早くのことである。  知らせを受けたとき、ルキウスは目の前が暗くなるのを感じていた。  確かに彼は高齢の上病弱で、長く患ってはいた。昨夜、食事のときに卒倒したのも知っている。  だが、いつものことだった。従者や母も、なんら普段と変わらぬ仕草だったので、容体がそれほどまでに悪いとは思ってもみなかった。  なのに、朝目覚めてすぐに悲報を知らされたのだ。驚かないはずもない。  それからはただ慌ただしくて、悲しむ時間すら与えられなかった。  義父――ローマの四代皇帝、クラウディウスの後継者となっているルキウスには。  慣例により、兵営で宣誓をし、元老院へと挨拶に訪れた。  近衛兵たちに向けての演説は、苦痛ではなかった。突然のことで即興に近くはあったが、自らの弁論術には自信があったからだ。  ルキウスを疲れさせたのは、それに続いた元老院訪問だった。議員たちはルキウスに、度外れとしか思えない数々の栄誉を与えたのだ。  けれど知っている。これはルキウス個人に与えられたものではなく、皇帝という位に捧げられたに過ぎないことを。  証拠に、成人はしているものの限りなく子どもに近い十七歳のルキウスに、国父――ローマにおいて、もっとも栄誉ある称号すら与えようとしたのだ。  さすがにこれには驚くというよりも呆れ、年齢を理由に断ったのではあるが。  これが政治。皇帝という仕事。  自らに課せられた使命の苦痛を思うと、辟易せざるを得なかった。  昨夜から降り続く雨は、止む気配もない。まるで自らの心を映す鏡だと、詮無いことを考えたりもする。  否、天もクラウディウスの死を悲しんでいるのではないか。そう思うほどには、寂しさを覚えている。  それでも、不思議と涙は出てこなかった。忙しさのあまり、感覚が麻痺でも起こしたのかもしれない。  考えて、そっと頭を振った。  おそらく、そうではあるまい。思い出すのは、実父、ドミティウスが亡くなったときのことだった。
/236ページ

最初のコメントを投稿しよう!