手紙と預け物

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「…あいつは、………春名(はるな)は。 癌だったんだ……」 誰も、何も、声を出さない。 ただ静かに、彼の言葉を受け入れる。 「…それでも、教壇に立つことを望んでいたあいつは、1年だけという契約であの学校の教師になることを許された」 俯いていたマスターの顔が上がって、私を見据える。 「そこで……、…光桜ちゃん。 あいつは、…君に出逢ったんだ。 その時からだよ。 あいつが、弱音を吐くようになったのは…。 いつも周りに気を遣って笑うあいつが、大丈夫だと元気を見せてたあいつが、初めて俺の前で本心を打ち明けた」 「…………」 もしかしたら、マスターも泣いていたのかもしれない。 少しだけ涙声になっていた。 「『生きたい』って言ったんだ…、あいつ…。『生きて、天宮(きみ)の成長を隣でずっと見ていたい』って…。 …でも、癌はあいつの体のあちこちに転移して、もう手の施しようがなかった」 「…………………」 「あいつがその手紙を書いたのは、医者から余命を宣告された時だよ。 余命宣告を受けたとしても、いつ逝くかなんて分からない。でも、いつ渡せるかも分からない…。 だから、ずっと隠していた自分の気持ちを手紙に残した」 命の宣告を受けたその時の先生はどれだけの絶望だっただろう。どれだけの恐怖だっただろう。…どれだけ悲しかっただろう。 「2年前の夏に、君が初めて来店してきた時は本当に驚いたよ。 写真の子にそっくりだったから」 「…写真…?」 「……これだよ。 ずっと、あいつの病室に飾ってあったから、覚えてたんだ」 マスターが取り出した写真を手に取る。その写真はのものだった。 私が告白した次の日、先生と桜を見に行ったあの日の……。 映っているのは、私とその後ろに大きな桜の木があるだけで、先生はいない。撮ったのが先生だからだ。 靡く風に揺れる髪を耳にかけるように左手で押さえて、こちらに振り向いている描写。 風に吹き舞う桜の花びらの中に佇む私。 その私を撮りながら、先生はどんな気持ちだっただろう。どんなに抑えていてくれたのだろう…。 「光桜ちゃん。その写真の裏を見て」 マスターに言われて裏返す。 そこには、先生の文字が書かれていた。 〔光桜。君は桜の花言葉を知ってる? たくさんあるけど、その中の1つを君に贈ります。 『わたしを忘れないで』 僕のことは忘れてくれてもいい。 けれど、君を好きになった人がいたということだけは、どうか忘れないで〕 先生のバカ。 忘れられるわけないじゃん…。 今まで先生のことを忘れたことなんか1日もなかった。 ずっと、未練がましく先生のことを想っていたんだよ……? 先生。私ね、先生が桜を見せに河原に連れていってくれたあの日の夜、先生が教えてくれた桜を見に行ったんだ。 でも、校舎は誰も残ってなくて、真っ暗な闇の中じゃ桜は見えなかった……。 先生が好きだと言った桜を私も見たかったのに。 先生。 先生。 先生。 何度も何度も、先生の名前を呼ぶ。 先生、私も同じだよ。 生まれ変わっても先生に出逢いたい。 生まれ変わっても先生のことがずっと好きだよ。
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