ある夏の日に

2/16
30人が本棚に入れています
本棚に追加
/16ページ
エスカレーターを登ってみると、ついさっき急行電車が行ってしまったばかりなのだろう、ホームには人影が疎らだった。 山村はさっそく照りつける8月の陽射しから顔を背け、日陰のベンチを探した。 改装されて間もない小綺麗な京阪線のホームには、冷房完備の待合室もあったが、何となくその箱に入る気にはなれなかった。 次の急行が来るまでには20分くらいあるだろうか。特に急ぐわけでもないし、先に来る準急で環状線の京橋まで出よう。 そんなことをムンと汗を誘う空気の中で考えながら、山村はホーム中程のベンチに向かった。 地方周りの営業職は、とにかく移動ばかりで疲れるが、山村には有り難かった。 1人住まいの千代田のワンルームマンションに帰るよりも、いろんな土地を飛び回っていた方が気が休まる。 2年前、独り身になってから引っ越して来たあのマンションには、何の愛着もない。 ただ辛いことを取り留めもなく思い出してしまうだけの、小さな侘びしい箱だった。 今日はこれから梅田へ戻り、その足で神戸に向かう。 そこで神戸支社の担当と落ち合い、たぶん夜は三ノ宮辺りで飲むことになるだろう。 首筋に浮いた汗をハンカチで拭いながら山村は、確認する意味もない予定を頭に巡らせた。 売店の横にあるベンチの手前まで来たとき、山村はふと足を止めた。 壁際に置かれた水飲み機の前に、小さな男の子が立ち、飛び出す水を無心に眺めているのだ。
/16ページ

最初のコメントを投稿しよう!