ある夏の日に

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「ごめん、ごめん。……まだ水、飲む?」 そう訊くと、男の子はニコリと笑い、首をブンブン、勢いよく横に振った。 けれど次の瞬間には、その目は自分の置かれた状況を確認するように、ホームをぐるりと見渡した。 そこで山村もハッとする。 「もしかして、おうちの人と、はぐれちゃったのかい? ぼうや」 辺りにはこの子の家族らしい人影は見あたらない。 ポツポツと、若者やサラリーマン風の姿が見えるだけだった。 駅前の木々から微かに聞こえて来る蝉の声が、再びジリジリと暑さを思い出させ、汗を誘った。 「春樹ねぇ、さっきまでママと居たよ。ちゃんとママ、そこに居たのに」 必死で何かに弁明しようとするその姿は、その年代の子供らしく、健気で愛らしかった。 「そうか、春樹くんはママとはぐれちゃったのかな。でも、大丈夫。きっとママ、その辺に居るはずだから。下の改札に降りて行っちゃったのかもしれないね。いっしょに探してあげるよ。おいで」 できるだけ優しく声をかけ、山村は手を差し出した。 春樹と名乗った男の子はホッとしたように頷き、山村の手を握ってきた。 小さくて、柔らかな手だった。 刹那、胸をえぐられるような切なさと、その小さな小さな手を、ぐっと力強く握ってしまいたい衝動に駆られ、眩暈がした。 ―――正輝……。 2年前に失った愛おしい命への想いが、その眩暈と共に、山村の胸を再び満たした。
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