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「ソメイヨシノは確かに儚げで美しいけれど、
僕はこの寒桜の、凛とした力強さが好きなんです」
父は、握っていた私の手をほどいて、
広がる枝に、そっと触れた。
はらり、と花びらが一枚舞い落ちて、私の頬をかすめた。
「お父さん」
「ん?」
「……私の中に、いるの?」
「いますよ。
ひーちゃんの心臓は、彼がくれたものです。
いつもひーちゃんと一緒です」
「そうそう、お母さんの中にもね、一心同体でずっと一緒の人がいる。
身体がなくてもね、心が住むんだよ!」
「心が、住むの?」
「うん。あのさ、
お母さんはさ、すごく好きな人がいて、でも死んじゃったんだ。
それからずっと、アタシの中に住んでる。
アタシと一緒に、何でも聞いて、みんな見てる。
だからアタシは頑張れた。
お父さんやひーちゃんとも、だから出会えたんだよ」
「ひーちゃんが彼に出会ったように、
そういう奇跡に、これからは彼と一緒に出会うんですよ」
「……いらない。あの人だけでいいもん」
「彼は楽しみにしているはずですよ、出会うことを。
この世界の色んなものに、色んな人に。
ひーちゃんの中でようやく彼は、それができるようになったんですから」
「まずはこの桜に会わせてあげなよ。
ひーちゃんが見ればさ、アイツにもきっと見えるんだよ。
一緒に見てやんなよ」
「一緒に見てるの?
あの人も一緒に、見てる?」
「見てますよ。
見たらきっと興奮しますよ、彼は感激屋だから」
私はもう一度、頭上を仰いだ。
広がる花びらの海は、まだ浅い春の陽に透けて、
それでも濃いピンクを保っていた。
蜜を吸いにきた小鳥が枝を揺らして、
そのたびに色付きの木漏れ陽がさざめく。
心臓が高鳴るのがわかった。
「……きれい」
「綺麗ですね」
「キレイだね」
「うん。とっても、きれい」
あの人が消えてしまってから初めて、
私はぼろぼろと泣いた。
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