花よりほかに

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「是非、芹沢さまにお礼を申し上げたいと、阿久津先生もこちらに向かっております」 山岸社長の言葉に思わず顔をしかめたのは、芹沢氏だけではない。 阿久津先生がそんなことを言うだろうか。 そのために彼がアトリエからわざわざ出てくるなんて、俄かには信じ難いことだった。 「山岸社長は阿久津先生の恋人だという専らの噂だが?」 芹沢氏が探るような目を向けたのも無理はない。 高級料亭で両手に花、と期待していたのに、宛がわれるのが私のような小娘一人だけでは話が違うと言いたいのだろう。 「昔、阿久津先生のモデルをしていたせいでそんな噂があるようですが、今はビジネス上の関わりしかありません」 もう何度も口にしているセリフのように、滑らかに山岸社長は嘘をついた。 彼女が先生のモデルをしていたのは事実だ。当時、二人が恋人だったかどうかは定かではない。 でも、今でも時々先生は裸婦を描く。どれも後ろ姿だから断言は出来ないが、先生のアトリエには山岸社長と私しか出入りしていないのだから、モデルは社長だと考えるのが妥当だろう。 モデルを辞めたはずの社長が、密かに阿久津先生の前でだけ素肌を晒している。それがどういうことかは明らかだ。 「ふむ。まあいい。小柳さんはモデルはやらないのかな?」 酔った芹沢氏の手が私の太ももに置かれた。指が太くてグローブのように大きな手は、やけに熱くて湿っている。 なぜ、こんなにたくさんの指輪を嵌めているのだろう。 親指以外のすべての指に二本、三本と嵌まっている金色の輪でさえ、生暖かく感じられた。 「私は社長とは違い、モデルなんてとてもとても」 ――出来るはずがない。こんな醜い身体では。 「いやいや、小柳さんもため息が出るほど美しい。何より若さに溢れている」 「あら! 私はもう若くはないとでも?」 茶化すような社長の声にかえって棘を感じて、憂鬱になった。 社長は三十を過ぎたばかりだが、近頃年齢の話に過剰反応を示すのだ。
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