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「座りなさい。」
「嫌だ。俺は行かなきゃいけない場所があるんだ。」
「待ちなさい!あの女のところには行かせませんよ。」
「…、何であんたがそれを知ってるんだ?」
バチッ!
新太郎は母親から強い平手打ちを食らった。
「母親に向かって、あんただなんて。あなたをそんな風に育てたつもりはありませんよ!それにあんな百姓の娘と駆け落ちさせるために育てたわけでもないわ。」
「あんな百姓の娘だって…?あんなに心の綺麗な優しい女性を、百姓の娘だからと殺したのか!?あんたみたいな人殺しより、彼女の方がずっと素晴らしい女性だ!」
「親を人殺し扱いするんですか?あの娘は殺されたんじゃない。勝手にあなたに恋に落ち、勝手に失恋して、勝手に自害したんです。」
「違うっ!八重は自害するような人間じゃあ…。」
「もう町中の人々が自害したと知っていますよ。あなたが違うと言ったところで、誰も信じませんよ。」
そう言い放ち部屋を後にする母親の後ろ姿を見ながら、血が滲むほど拳に握りしめた。
そう、この駆け落ちは両親に知られていた。
屋敷の者に新太郎を見張らせ、あの夜駆け落ちをすることを知った母親は、この家で最も立場の弱い下働きの男に八重を殺すようにと小刀を渡した。
戸惑う男に、殺さなければ職を失うだけでなく家族全員この町にも住めないようにすると脅したのだ。
男は逆らうことも出来ず、涙を流しながら八重に手をかけたのだ。
その1年後、八重が死んだ日と同じ朔日の夜。
酒に酔い足元がふらつく男の前に、真っ赤な着物を身にまとった八重が姿を表した。
死んだはずの八重は酔っぱらいに微笑みかけた。
すると酔っぱらいの酔いはみるみる覚め、悲鳴をあげて走り去った。
その次の年も、その次の年も八重の姿を見たという男が現れた。
そして八重は今でも新太郎を恨んで、桜の木の下に化けて出るという噂が広まった。
その噂は時が経つにつれ少しずつ変わっていく。
八重や新太郎の名前は忘れ去られ、女の幽霊を見たものは死ぬという根も葉もない話が付け加えられた。
そして20年たった今、怪談話として町の人に語られるようになった。
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