モザイクの経験

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日曜日の午後。 轢逃げ事故にあい、鼻骨骨折と全身打撲で入院中の兜勇治(かぶと ゆうじ)は、 ベッドを取り囲む仕切りのカーテンについた茶色の染みの数をぼんやり数えていた。 事故直後は1人部屋だったが、兜の意識がはっきりすると4人部屋に移された。 ちょうどそのころ、犯人も逮捕された。 兜以外の入院患者は高齢者ばかりで、 訛の強い言葉で第二次世界大戦直後の苦しかった生活を面白おかしく、 多くの場合は自慢話のように話すので、兜が話の輪に入れる状況ではなく、 カーテンに仕切られた空間に引きこもっている。 突然、高齢者たちの話がピタリと止まった。 そんなことなど兜は気にも留めず、カーテンの染みを数え続ける。 「開けますね」 女の声がし、兜の意識はカーテンの染みから脳に戻った。 返事をする前に、カーテンの隙間から小さな花束を手にした白いブラウスの女が、 するりと兜1人の空間に滑り込んだ。 突然現れた華やかな女に視線は吸い寄せられ、 カーテンの染みは最初からなかったもののように見えなくなった。 まるで、カーテンの染みが人間に実体化したようだ。
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