死者郵便

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 パチンと耳元で手を叩く音がした。 「おはよう、伊月君。目覚めはどう」 「最悪」 「なんだよ、それ。伊月君がやってくれって言うから、催眠療法ためしてあげたのに」 「なんとなくは分かった。けど……断片的で良くわからない」 「どっちなの?」  小さい頃から世話になっている精神科医の田神が、買ってあったパックのりんごジュースを伊月の手に握らせた。 「これ、何なんだろう。いつもと違う感じなんだ。次の客かな」 「いつもと違うって言われても、私には分からないんだよね」 「先生、今、何時?」 「7時になるよ」 「ヤバ……。俺、今日、行かないといけないところがあるんだった」 「こんな時間から、どこ行くの!お母さん、心配するよ」 「仕事だよ、シゴト」  伊月は、手を伸ばし枕元に置いた鞄を手にした。真っ白な肩掛け鞄には、スマホと財布、白い封筒に入った手紙、折りたたみ式の白杖ーー。 「送っていくよ」 「いいって、一人で行ける」 「心配だから」 「すぐそこなんだ。いつも通り郵便受けに手紙入れたら、すぐ帰るから」 「その手紙、点字から文字に起こしてあげているのは私だよ。少しは言うことを聞いてくれても良いと思うんだ」 「その分は、こないだコーヒーおごった。じゃぁ、行くね」 「伊月君、待って。本当に送っていく」 「先生、俺……もう子供じゃないから」  伊月は白杖を広げ、寝癖を付けたままゆっくりと歩き出す。言っても聞かない伊月を送っていくことを諦めた田神は、空気を入れ替えようと窓を大きく開けた。冷たい風が部屋へと吹き込み、その空気に混じってコツコツと白杖を鳴らす音が外から聞こえてくる。 「子供じゃないなら、そろそろ私の気持ちにも気付いてもらいたいね」  伊月が小さい頃からの馴染みで、田神はつい手を貸してしまう。悪い癖だ。  もともと伊月は、大学病院務めだった田神の患者だった。患者と言っても、初診ではこれといって悪いところは見受けられず、母親が言う虚言、幻覚、幻聴は認められなかった。今は落ち着いて良好な関係を築いているが、当時の伊月の母親は、紹介状がなければ受診できない大学病院の精神科へ、悲痛な想いで駆け込んだのだ。
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