死者郵便

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   母親も限界だったのだろう。何が限界だったのか、その時の田神は計り知ることができないほど、伊月はいたって普通の小学生だった。それでも診察してくれとヒステリーにわめき散らし、噎び泣き、対応した新米の田神にすがりついた母親の方が、診察が必要そうだった。が、ある日、母親を待合室で待たせ二人きりでカウンセリングをしていた時に、母親を精神的に追い込んだ原因がはっきりとした。 『おっ!先生を描いてくれてるのかな。伊月君は、絵が上手だね』  当時、まだ視力があった伊月に"実のなりた木"を描かせていたはずが、いつのまにか田神を盗み見て似顔絵を描いていた。その隣には、田神を押しつぶすような真っ黒に塗り潰した影ーー。 『この真っ黒は何かな?』 『6がつくお部屋』 『6がつくお部屋?』 『先生の患者さん。自殺する』 『……伊月君』  田神には思い当たる節があり、視線を宙に彷徨わせ微笑みながら、小さく頷く姿を狐につままれたような気分で見ていた。 『先生、最近……あまり良くない。特に左手』 『なんで』 『その人がずっと手を握ってる。一緒に逝こうって』  確かに最近、左の肩から指先までが冷え切っていて、風呂に入っても温まらなかった。 『生きてるのに、オバケになっちゃダメだよ。死んじゃったら、僕のところにおいで。そしたら、一緒に遊ぼ……それに、僕の大好きな先生を連れて行かないで』  その刹那、PHSが振動した。病棟からの緊急の呼び出しの内容に唖然とし、田神は伊月を振り返った。 『……先生。今なら、間に合う』  その患者は一命を取り留めたが、それ以来の付き合いだ。ただ、精神科で解決できるような話ではなく、田神はカウンセラーとして伊月と向き合い、分別がつくようになった伊月は、見えてしまうことをいつしか田神にしか言わなくなった。  大学病院は伊月の家から遠く、待ち時間も長い。田神は通いやすいようにと、大学病院をあっさり辞め、偶然を装い伊月の自宅近くにカウンセリングルームを開業した。そんな中、伊月が高校一年の時に訴え始めた、目の不調。田神の知り合いの伝で、日本でも有数の眼科医を紹介したものの、その医者でさえ匙を投げるほどの速さで伊月は視力を失って行った。稀な病の上に前例のない症例だった。
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