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ホッとした瞬間にまたギクッとする。里見君がこちらへ近づいてきたから。
「あ、あの」
「お疲れ様です。飲みですか?」
至って普通な感じで話しかけてくる。いつも会社で見る里見君と同じ。ただ偶然道端で会った時のように。
さっきの彼とのことを気にもとめていない。見られたことも。
「あ、うん……そう」
里見君の肩ごしにチラッと後ろを見る。さっきの彼の姿はもうどこにもなかった。
「……ごめん……邪魔した?」
「ああ、いいんです。気にしないで下さい」
「そう? ……なら、いいんだけど……」
気になるよ。でも、根掘り葉掘り聞いちゃいけないよね。
俺は後頭部の髪をガシガシと掻いて、チラッと里見君の様子を伺った。里見君はパチクリとマバタキして「どうしたの?」という顔で俺を見ている。
遠目ではあったけど、さっき男とキスしていた時とは別人に思える。俺の知っている、いつもの可愛い後輩の顔を見て軽く混乱していた。
「……えっと、誰にも言わないから」
口止めされたわけでもないのに、なんて言っていいのか分からず言葉を続けると、里見君はまるで俺の言葉を聞いていないみたいに言った。
「もう帰りですか? よかったらもう一軒どうです?」
俺は口をポカンと開けて、数秒里見君を見た。そして「あ、うん。いいよ」と返事をしてしまった。本当は「あービックリした!」と思いながら、別れるつもりだったのに。
「大富さんと飲みに行くのって初めてですね。歓迎会の時もたしか席が遠かったし。どこ行きます?」
「え、あ、うん」
無邪気な後輩の顔で言う里見君。俺は先輩の顔を取り戻し、団体客がドヤドヤと出てくる洋風居酒屋へ目を留めた。
あそこならテーブル空いているかもしれない。
「……あの店でいいかな?」
「はい」
いつもの微笑みで里見君は頷いた。
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