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「ハルト、チョコレートあげる」
その言葉で胸を高鳴らすのは、おそらく彼女の方だろう。彼女はそのイベントを愛している。きっと、そのイベントが無かったとしても、自分で作ったかもしれない。誕生日じゃない日を祝う二人組のように。
何でもない日を特別な日に変えることは造作も無い。その日を記念日にすればそれでいいのだから。でも、全国的に広がっている日を特別にすることで、それが普遍的な愛情であることをアピールしているように感じる。バレンタインだから。みんながみんな、特別な人にチョコを渡すから。だから、私もそうなんだよ。
至って普通なんだよ。そう言っているような気がするのは、果たして僕の考え過ぎだろうか。
「私の手作りだよ。嬉しいでしょ」
曖昧な笑顔。そうすることで彼女の顔色がどう変わるのかを知っていて、それでも浮かべてしまう、笑顔。彼女は殊のほか喜んでくれる。僕の笑顔に。
笑顔は笑顔を呼んでくれる。たとえそれが愛想から来るものでも、心の底から来るものであっても。僕はきっと前者で、彼女はきっと後者。そんなことを考える。意識して考えなければいけないことに、自分で呆れてしまう。そんなの、分かりきったことだろう? それはきっと僕の声。そうであってほしい、僕の声。
「食べさせてあげる。ほら、口開けて」
子どもじゃないんだから。もう、子どもじゃないんだから。いくつかのパターンの抵抗を示す言葉が出てくるけれど、それを口にすることはない。僕が口にするのは、とびきり甘いもの。舌がしびれる、極上の甘いもの。
甘いものは苦手なのにな。分かってるはずだろうに。そんな言葉も思い浮かぶけれど、すぐさま葬りさる。だから僕はきっと、それを心待ちにしているのだ。それが、否定されなければいけないものだと分かっていながら。
それとも僕の中を埋めつくすのは、同情なのだろうか。だとしたらそれを含めて、僕は甘い。甘すぎる。
それは甘いまま溶け残る。その場にずっとい続けて、存分にその甘さをひけらかす。それを知っていて僕はなお、彼女の言いなりになるのだ。
おとなしく、口を開けて待つのだ。
彼女は感謝の言葉に飢えていた。
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