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恐怖だ。
先に抱いていた不安が膨れ上がって、足を竦ませていた。心が怖気付いている。
そしてなにより、伝わってくる意念は一番質の悪い〝憎悪〟だった。
「くそっ、どうする……あの群れに突っ込んだところで、本当に白太刀が利かなかったらどうする、どうやって浄翔する。あれだけの数に、どう対処するっていうんだよ……」
たった一羽の鴉にでさえ、死の恐怖を味わった赤月の夜。
握られた拳の中で、ギリギリと爪が皮膚に食い込んだ。
人間の心は単純だ。
これまでの当たり前が当たり前じゃなくなったとき、日常的が非日常的になったとき、心は瞬時に動揺する、混乱する。
これまで利いていた白太刀が利かない。これまでに見たことのない鴉の群れを目の前にしている。これまで行動を共にしてくれていた夜羽がいない。これまで──。
それでも、トンビの頭の中は必死と思考を巡らせていた。この現実をどう打破するか、人の気配は近くにないか、結界なしで戦える環境か。
しかし頭とは裏腹、心の中ではあらゆる感情が渦巻いている。不安、恐怖、混乱、困惑。
そんなどこか矛盾した思念がぐるぐると全身を駆けまわって、鼓動を速める。
じり、と足が後ろへ下がろうとした。無意識に。
トンビは咄嗟に膝を掴み、舌打ちをした。
「ふざけるなっ、俺は鴉浄師だろ、逃げるな、下がるなっ……」
たとえ恐怖を抱いたとしても、トンビの胸には鴉浄師としての誇りがあった。
鴉を浄翔するために自分は存在している。己の感情一つで逃げだすことなどできるわけがない。街明かりに染まる人々の日常に、影の群れを野放しになどできるわけがない。
「よよ、よし! 利くか利かぬか、二分の一。当たってみなきゃわからない、一か八かだ!」
ざわめく心に言い聞かせ、トンビは白太刀を抜刀し地を蹴った。
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