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「あ」
小さな棘が脳内を刺激し、思わず声になった。
あと少しで正門というコンクリートの中庭。他に生徒がいないのをいいことに、通路いっぱいに広がり歩いていた集団が、一斉に俺を振り返った。
威勢のよい野球部の声が、冷たくなり始めた夜風に乗って届く。グラウンドのナイター照明が、皆の顔に仄暗く陰影を落としていた。
「どうしたんだ?」
隣を歩く佐伯が直ぐ様尋ねてきた。高校からの付き合いだが、今では下手な幼馴染より心安い相手だ。つられたように、ほかの面々も視線で何かと問いかけている。
「生物準備室にノート忘れた」
六時間目の終わり、担当教師から提出していたノートを各自持って帰るようにと言われたことを思い出した。立ち止まり憮然と呟くと、周囲は一様に気の毒そうな視線を投げかけてきた。
「明日でいいじゃん」
後方からやや高めの声がかけられる。
「生物のレポート、明日までだぜ」
即座にどこからか否定が入った。
そこまではすでに俺の中でも理解済みだ。付け加えるのならば、俺の生物の成績はお世辞にも余裕があるとはいえない。
「佐伯……」
「ゆっくり行ってるから取ってこいよ」
こちらの言葉を察したのか、先手を打つように佐伯が校舎を指した。友達甲斐のないやつ――文句をいったところで返る言葉など分かっている。
こんな時間の生物準備室など、誰が好き好んで行きたいものか。
小さな溜息とともに諦めを吐き出し、友人たちに背を向けた。
「コウちゃんに襲われるなよ」
背中で誰かが甲高く笑う。
うるせー! 振り向きもせず悪態をつくと、俺は校舎へと半ば本気のダッシュをかけた。
下駄箱が並ぶ通用口は、薄暗い蛍光灯の光が頼りなげに瞬いている。俺は校内履きに替えながら僅かに身震いをした。
人気のない廊下はそれだけでも薄気味が悪い。教師たちはまだ残っているのだろうが、それはほぼ職員室に限られている。
階段を二階へと上がり、東棟への渡り廊下を進んだ。目的の生物準備室まではあと少しだ。
コウちゃんに襲われるなよ――誰かの声が耳に甦る。
誰がいつから言い始めたのか、コウちゃんとは生物室を住処にしている、人体の骨格標本のことだ。よくある話で、コウちゃんが夜中に廊下を歩いていただとか、誰もいないはずの生物室から物音が聞こえるだとか、そんなネタには事欠かない。
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