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「ムラサキ……桜、綺麗だな」
男は、連れだって歩く細面の男をムラサキと呼ぶ。それはもう、ずいぶん前からだ。彼の名前は紫田(シダ)というが、そう呼ばれた試しがない。
工業高校で出会い、名前をそのまま音読みして以来だから、かれこれ二十数年来の付き合いだった。
「そうですね」
男は年の割に白髪が増え、全体的にグレーの髪色をしていた。それを染めれば、紫田と同い年と言っても誰もが信じるだろう。が、あえてそうしようとしない。男は黒いスーツしか着ることなく、熱い夏も、寒い冬も喪に服しているようだった。
花見をする客を遠目に眺め、男はシガーケースを取り出した。どこもかしこも街は禁煙だったが、この男は御構い無しだ。風を避けるように、ライターの火を灯した紫田の手に手を添える男は前屈みになって紫煙をくゆらせた。
「この時期になると思い出す」
「何をです?」
「いや……」
珍しく歯切れの悪い男が、大きく煙を吐き出した。
「ムラサキ。一つ聞きたいことがあるんだ」
「何でしょう」
そうだ。
二十年前も男は紫田に、同じことを言った。
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