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「これが前金でどうかしら」
合計五枚の一万円札。何がどうかしらなのだろう。
「ちょっと、待て」
「ええ」
ハルは考え込んだ。ない脳みそを絞っても思い当たるのは、ただ一つ。
「……足りませんか?」
足りないとかそう言う話ではなく、普通、世の中で買うのは男だ。しかも、処女の女子高生に買われるなんて聞いたことがない。
「あ、どうしよう」
急に美咲が鞄とマフラーを持ち席を立とうとした。視線の先の窓には、頭と同じ車が止まっていたが降りてきたのはハルの見知らぬ顔。
「……成瀬さん」
ハルに会った時よりも、美咲は動揺していた。
「ナルセ?」
「婚約者。いつも放課後、迎えに来るの。こんなところまで付けられてると思わなかった。ごめんなさい、ハルさん。この話は、また今度。お金は持って行っていいから」
「どこ行くの?」
「本当に嫌なの、口も利きたくない」
ハルは金を握りしめトレイをそのままに、正面の出入り口に向かおうとした美咲の腕を掴んだ。
「そっち行ったら、捕まっちまう」
ハルはニヤっと笑った。できるだけ平静を装い別の出口へと向かい、外に出た瞬間、走り出した。
「ハルさん!?」
「逃げるの付き合うよ」
途中で、ケチャップのシミがついたスカーフを置いてきてしまった事に気付いた美咲が、急に笑い出した。
「どうした?」
「なんでもない」
いつも煙草ばかり吸っているハルは息が切れ、だんだんと速度が落ちて行く。雨もポツポツと落ち始め、この先にラブホテル街がある事をハルは知っていた。元々、それがお互いの目的であったわけだし、握りしめた五万もあれば、ラブの付かない良いホテルに泊まれるだろう。ただ、頬を上気させ、屈託なく笑う美咲をもっと大事に扱ってやりたいとも思った。
「門限とかあるの?」
「七時」
「送ってく」
「え?」
ハルがいつのまにか握っていた手から、足を止めた美咲の手が滑り落ちた。時間は六時半。もうすでに辺りは暗くなっていた。
「嫌……です」
「面倒くさいヤツは嫌われるぞ」
「嫌なんです。本当に嫌なの」
こんな人通り多い場所で美咲が泣きだした。周りの通行人からは無遠慮な視線を投げられ、一番困ったのはハルだ。
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