〈過去〉19歳・初夏

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アパートを出て、足早に歩く。 まだ泣けない。 まだ泣いちゃいけない。 ショップ袋を引っ提げ、角を曲がると、ハザードランプを点灯して停車している車に急いで近付く。 ドアを開けて後部座席にショップ袋を荒々しく放り込み、座席に乗り込むと、勢いよくドアを閉める。 その振動で不安定だった袋がグラリと傾き、中身がバラバラと足元へ散らばった。 「……お姉ちゃん、出して」 それを気にも留めず、置いてあるクッションに顔を埋める私に、お姉ちゃんの心配そうな声が聞こえる。 「………香音、本当にこれでいいの?」 「っ、いい!お願い、早く遠くに……」 お姉ちゃんは小さく溜息を吐いてから、ゆっくりと車を発進させる。 ぐんぐん遠ざかって行く壱吾のアパート。 もう二度と、あの部屋に行くことはない。 もう二度と、あんな幸せな日々は過ごせない。
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