同期のさくら

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 彼の正体が佐倉だと判ってから、俺は記憶の扉の鍵を開けられたかのようにあの頃の事を思い出した。全社合同の新人研修は三ヶ月間。その後、それぞれの部署に配属されてまた三ヶ月、指導係の先輩社員について仕事を覚えていった。  俺と佐倉は配属先も同じ営業部だった。佐倉は本当は広報部希望だったのに、先輩と慣れない外回りをしては戻ってくると、ため息をつきながら俺の隣の机で書類をまとめていた。 「先輩によく怒られたよ。佐倉、やる気はあるのか!ってね」  今夜も俺はベンチに座り、近くのコンビニで買ってきた缶ビールを飲みながら佐倉と話をしている。酒に弱い佐倉は、ほんのりと頬を染めて、 「つらい事も沢山あったけれど、高畑が助けてくれたから何とか耐えられた。本当にありがとう」  ぺこりと頭を下げた佐倉に、いやいやと俺も謙遜して、 「俺だってお前に助けてもらったよ。ほら、俺はどうにもデスクワークが苦手でさ。その点、佐倉は報告書や提案書とかは先輩が感心するほど完璧だったよな。俺は未だにお前に教えてもらったやり方で書類作成しているんだ」  それは嬉しいなあ、と佐倉が缶を口に運んだ。喉仏が小さく上下する細い首を、相変わらず肌色が白いな、と見つめてしまう。俺の視線に気づいた佐倉が笑いながらこちらを見ると、慌ててビールを飲み干した。  俺と佐倉が一緒にいたのは半年間だけだった。佐倉は急な配置替えにより関西の支社へと異動してしまった。その頃、俺は父親が倒れてしまい、しばらく休みを取って故郷へ戻っていたために佐倉を見送れなかった。 「あのあと何度か電話をしたのに、全然繋がらないんだもんなあ」 「すまなかったよ。異動してすぐに携帯電話を水没させてしまってね。君や他の同期の番号はメモも取っていなかったし、仕事も忙しくて必死でさ。異動先はあまり環境の良いところでは無くて、いつもくじけそうになったけれど、その度に高畑と歌った『同期の桜』を思い出していたよ。でも、それでも僕はもたなかったけれど」  結局、佐倉は異動後一年足らずで会社を辞めた。大人しく存在感の薄かった彼はその後、誰にも思い出されることは無かったのだ。
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