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エス氏が帰宅すると、妻はすでに荷造りを始めていた。
「何してんの?」エス氏は部屋中に置かれたダンボールをかき分けながら居間に向かった。
「予報見たでしょ? 避難しないと」
「ちょっと待ってくれ。勝手な事するなよ」エス氏は声を荒立てた。
「何が? あなたまさか避難しないの?」
「いや、だって、この家は買ったばかりだし、仕事だってあるだろ」
「とりあえず大事なものを実家に預けておいて、ギリギリまで仕事しておけばいいじゃない。地震の来る前の日に仕事は休んだほうがいいわよ」妻はダンボールに次々と日用品を入れていた。
「簡単に言うけど、簡単に休めないって。バイトとは違うんだぞ」
「震度7よ? 会社のために死ぬの? 会社だって存続できるかどうか分からないでしょ。隣のKさんなんて今日のうちに会社を辞めたらしいわよ」妻は呆れた表情になっていた。
「あの人はまだ若いし、次の仕事だってすぐに見つかるだろ。それに仕事を辞めて、もしも地震が来なかったらどうするんだよ・・・・・・」
「地震で亡くなった人達は、みんなあなたみたいな考えの人よ。外れてもいいじゃない。命があればやり直せるって」
「甘いって!」エス氏は大声で続けた。「この前のY県の地震の時だって地震そのもので亡くなった人よりも、避難先で食うに困って亡くなった人の方が多かっただろ」
「だったらあなたは残りなさい。私は子供と一緒に実家に帰ります」
妻はエス氏を睨みつけると、ダンボールの作業に戻ってしまった。
エス氏は自分の部屋に入ると、ベッドで横になって天井を眺めた。
仕事は順調だ。
念願の家も買った。
結婚して気の強い妻と子供も授かった。
それなのになんでこんなことになってしまうんだ。
エス氏は涙をこらえられなくなっていた。
壁の向こう側からは妻が梱包作業する音が夜遅くまで続いていた。
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