一郎と十郎

2/4
5人が本棚に入れています
本棚に追加
/16ページ
 子供のころ、一郎は隣家の十郎じいちゃんのところへ遊びにいくのが楽しみだった。  十郎の家は相模湾沿岸にある昔からの釣り船屋で、自宅兼店舗を構えていた。要するに自営業だ。  昭和40年代半ばというと、山なら林業、平地なら農業、海なら漁業といった第一次産業が盛んだった。とはいえ、漁だけでは収入が不安定なこともあり、店を開いて釣具を売ったり、船宿を経営したりしている家が多かった。  十郎のところも、釣りざおやらエサに使うゴカイやらを売っていた。四畳半ほどの土間のような空間に、ところ狭しと商品をならべていた。一見乱雑なようだが、まるで長くのびた細い草木のような釣りざおが生えている道なき道を人が行き来しているうちに、まるで獣道のように通れる隙間ができ、自然と整えられたかのような感じだ。  店名には十郎の名前が入ってはいるが、実際に店を切り盛りしていたのはばあちゃんだった。とはいうものの、子供の目から見ても、繁盛しているようには見えなかった。  十郎は港の魚市場で働いていた。まだ夜が明けないうちから出かけ、朝方に帰ってきた。昼間姿が見えなかったのは、そのためだった。  ばあちゃんはいつも笑顔が絶えず、おおらかな性格だが、十郎はというと、いつも苦虫を噛み潰したかのような顔つきで口数も少なく、笑ったところを見たことがない。
/16ページ

最初のコメントを投稿しよう!