一郎と十郎

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 そんな十郎だが、なぜか引き付けられるものがあった。本業は市場の商売人だが、実はプロなみの特技があった。将棋である。  十郎はもともと漁師で、昔一郎の父親が十郎の船で一緒に漁に出ていたことが縁で、一郎はよく十郎のところへ遊びにいくようになった。  ゲーム用の薄っぺらな将棋盤しか知らなかった一郎は、初めて遊びにいったとき、テレビでプロが使っているような分厚い将棋盤を、十郎の部屋で目の当たりにしたときの衝撃は相当なものだった。  部屋には、たくさんの賞状やトロフィーが飾ってあった。昔、アマチュア将棋の大会でもらったのだと聞いた。プロになれなかったからアマチュアに甘んじたわけだが、一郎には十郎がカッコよく見えた。  十郎は熱心に教えてくれた。一郎も最初のうちは楽しんでいた。しかし、何事にもいえることだが、最初のうちは早く上達するものの、ある程度まで来ると、必ずといっていいほどスランプという壁にぶち当たる。  険しい顔の十郎だが、将棋を教えてくれたあとは、お茶とおせんべいを出してくれた。将棋よりおやつをもらうのが楽しみで遊びに通っていた、というのが正直なところだ。そのほうが子供らしくていい。  ふたりには子供がいなかった。名前が似ていることもあり、もしかしたら、一郎を孫のように思ってくれていたのかも知れない。  ちなみに、じいちゃんの呼び方は変わっていた。普通は「じ」にアクセントを置くが、このじいちゃんのことはなぜか、みんな「いちゃん」のほうにアクセントをつけて呼んでいたので、一郎も自然とそういう発音をするようになっていた。不思議と、ばあちゃんのことは普通に発音した。
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