第二章 ヒロくんの場合

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「何事も急ぎすぎるのはよくねえな」  デビューまでのコネ、金、ヒロくんが踏みつけてきた女は圧倒的な数だ。  いまだって、誰にこんなことをされているのかもわからずに歌ってるんだろう。ただ、生き残りたくて。  見てるのか?  あんたは本当に見てるのか?  俺は暗い客席を一瞬だけ振り返る。  勿論、見てるんだろう。  あれだけの金をかけて、殺したいほどのいとしい男。 「わかんねえな」  俺は矢継ぎ早に煙草の煙を吐き出す。  それはモールス信号みたいなものだ。  俺だけにわかる、信号。                 ※※※  カオリが去ってからしばらくして、私は実家に連絡を取ってみた。  カオリたち一家は町内からはとっくに引っ越していて、どこに行ったかは知らないらしい。  それだけならばどうということないことだったけれど。  近所に住んでいたとはいえ、娘の高校自体の友人だったというだけの繋がりににそれほど詳しい両親はないだろうから。  ただ私の心に引っかかったのは、妙に焦げ付いたような母親の声だった。 『カオリちゃんがどうかしたの?何かあったの?  もしかして……あなたのところに来たの?』  どうしてそんなことを気にするの?  聞こうと思った言葉は喉の奥に消えた。 『鬼ごっこの始まりだよ!キカ!』  そう叫んだときのカオリの得意そうな顔。  それが私の何かを詰まらせた。 「ううん……なんか、カオリ、いろいろあったみたいでご両親が大変そうだったから……いいのいいの。知らなきゃいいの。うん。ほんと。……そう、私も知らなかったし。……うん。お正月には帰るよ。……わかってるって。じゃあね」  振り返れば、あの時私は、本当にぎりぎりのところで張りつめられたワイヤーを回避していたのだ。
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