第二章 ヒロくんの場合

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 俺の後ろのカーテンが開き、華やかなドラムロールが鳴った。 「嬉しかったろ?念願のメジャー契約ができて。でもそのファーストシングルは永久に市場には出ない。……ほら、ボーカル、歌えよ」  ぼこぼこに殴られ、変形した顔で男は嫌々と首を振った。 「手間をかけさせんな。なんのために口だけガムテ張らなかったと思うんだ。おまえのメジャーデビューを自分一人だけで見届けたいってのが依頼人の頼みなんだ。どうせ死ぬならデビューしとけ。こんなでかいライブハウスを借り切って、バックバンドにすごいメンツを揃えた依頼人の愛情に感謝しろよ」  そこまで丁寧に説明しても歌いそうもないボーカルに、俺はしかたなく近づく。  そして、依頼人の伝言を読み上げた。 「ヒロくん、いつもみたいにいい歌うたって。ヒロくんの声を聴かせて。ずっとヒロくんのこと見てたの。彼女になりたかったの。大好きなの。だそうだ。  とりあえず歌ってみろよヒロくん。依頼人はこのホールのどこかでおまえを見てる。『いつもみたいにいい歌』を歌ったら、死ななくて済むかもしれない。  ……それに、こういうことを頼める女は凄まじい金持ちだ。彼女になったらマジでデビューさせてくれんじゃねえの?」  ヒロくんは泣きそうな顔で、俺と、バンドと、スポットライトの当たっているマイクを見た。  そして、やっと決意したようによろよろと舞台センターのマイクへ向かって歩き出す。  勢いよく叩き出されるイントロ。  ヒロくんは観念したように歌いだした。  ああ、悪くない。  馬鹿みたいな大金をかけて聞くのも悪くない声だ。  俺には若すぎるが詞も曲もいい。  ヒロくんの才能は勿体ないことに本物だったんだろう。  これで女に固ければ、ヒロくんの夢だって早晩かなったろうに。
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