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「……いた。二階エレベーター左手の、扉のしまったエリア。端の部屋の廊下側奥。いける?」
『はい。あのくらいの距離なら。あの、待っててくださいね? もしダメだったら、またその体が必要なんで』
「分かってる。三十分くらいは待ってるよ」
『はいっ。ではまたあとで』
黒猫から千夜の精神体が抜け出て、病院の窓に入っていく。
「ちゃんと戻れるといいけど……ていうか、君は大丈夫なの?」
服の中の黒猫に語り掛けるが、反応はなく身をよじるだけだった。
とりあえず、スイの懐の中に文句はないようだ。
(僕が寝てた場所の、ちょうど真下くらいか)
自分がこん睡状態で寝ていたころのことを、思い出す。
あまり来たいところではなかった。
そう思って俯いていると、スイの視界が急に曇った。
顔を上げると、スイと同年代の青年が、にやけてスイの顔を見下ろしていた。
「あっれ? お前三好じゃね? なんでこんなとこにいんの?」
見覚えのある顔だったが、しかし誰だったか。スイは思い出せないでいた。
「……ごめん。だれだっけ?」
ぴくりと口の端を引きつらせ、青年は座っていたスイの胸元をつかみ寄せた。
「冗談すぎるぜオイ。荒賀だっての。なあおい」
「荒賀? 荒賀……」
何度か名前を繰り返して、はっと思い出す。
スイの眼球を切って、突っ込んでくるトラックへの盾にした男が、そんな名前だったような気がした。
「ああ、いたいた。思い出した。なに? 右目なら返してくれなくていいよ。間に合ってるから」
「何言ってんだ? いいから来い。ヒマしてたんだよ。ちょうどいい」
「いや、僕今人待ちなんで。予定通りでどうぞ」
「はぁ? いいから来いってんだよ!」
荒賀がスイの横腹へ、膝蹴りを叩き込む。
服の内の猫をとっさにかばい、スイはあばらに蹴りを受け、スイは倒れて地面を転がった。
目を覚ましてもがいた黒猫を、懐から逃がす。千夜の帰る体がなくなってしまうが、死んでしまうよりはいい。
しかし黒猫はスイのもとを去ろうとせず、様子を窺うように顔を近づけ、荒賀は、スイの逃がした黒猫に目敏く、性悪に目を付けた。
「寂しい人生をペットで埋め合わせかよ。ここは動物病院じゃないぜ」
足を引いた荒賀に気づき、スイは荒賀と黒猫の間に割り込んだ。
荒賀の足が、スイの肩を思い切り蹴りぬいた。
「変わってねぇなぁ」
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