第1章

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 叫びきる前に、男の背後の影から不自然に長い黒い手が伸び、男の背中のど真ん中を、その指で貫いた。  ずるりと氷から手が抜け、男は積みあがった死体の仲間入りをし、影から伸びた腕は影に戻り、倒れた男の影からトカゲのような足の生えた腕の影が這い出て、逃げ惑う別の利用者の影を追った。  その影を、一振りの剣が突き刺した。  影は首から尾までを裂かれるも、すぐに再生して別の人間を追う。  突き刺した剣の持ち主は、三メートルほどある木彫りの仁王像だった。その像へ、もう一体いる、ほぼ同じ形の仁王像が斬りかかる。  剣同士がぶつかり合い、苛烈な音を響かせる。  同一人物の作った精神体ではないようで、切りかかった側は腕が六本あり、それぞれを最も近い動くものへ適当に振り下ろしている。 この二体の仏像の戦いが、診察室への廊下への逃走を防いでいる。 そしてスイのいる、救急外来へとつながる廊下は、一番の際物が塞いでいる。 高さ一メートルほどの巨大な脳みそだ。神経らしきもので眼球がつながっており、水中でもないのに気泡を生みながら、ぷかぷかと浮いて道をふさいでいる。何をしているわけでもないようだが、際立って気色が悪い。 「うへぇ」  しおれた野菜のような気分でげんなりするスイ。運の悪いことに、スイのいる廊下からでは、タタリ憑きの本体は、氷の中の一人しか確認できない。 (人に見えないのに、通せんぼできてるってことは、この脳みそにもなんかタネがあるんだろうなぁ。仕方ない。危険だけど様子見だ)  廊下の角に身を隠し、精神体を出現させて、脳みそを迂回するように壁を抜ける。  壁から顔を出すと、脳みそ精神体の主と思しき女性と目が合った。  そして女性とほぼ同時に、脳みそ精神体の、真横を向いた眼球とも目が合った。  スイの精神体が硬直し、眼球以外の自由が奪われる。 (指一本動かない! えっ、マジ? こんなのアリ? げっ!)  もう一方に押し返された多腕の仏像が、少しずつ移動し、近寄ってくる気配がする。  進行方向からして、脳みそとスイのどちらか、もしくは両方が叩き潰されることになるのだろう。 (マズい! 動かせるもの――ぶつけられるものは――)  スイが焦って視線をさまよわせているうちに、多腕の仏像が近づき、スイを睨みつけて大きく刃を振りかぶった。 (……死ぬかな)  覚悟も何もなく、ただ当然のこととして死を受け入れるスイ。
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