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「ひねくれてるな」 「お前ほどではないがな」 「心外だ。私ほど人畜無害な人間はいないというのに。私の座右の銘は空気になりたいですよ。誰にも影響を与えず誰にも影響を与えられず生きていたいんです。人生に山も谷もいりません。ただまっすぐな平原を私は生きていたいんです」 「周りの人間が山を登ればその平原は相対的に谷になるぞ」 「わかっていますよ。だから、いやいやでも山を登るんです。平穏を求めるために」 「二十三歳でその人生哲学を持つお前は十分に十全にひねくれものだ」 けらけらと沙紀が笑う。まだ桜のほうを向いていてこちらを向いていないから表情は見えないが子供の用に笑っている表情が思い浮かぶ。 「何の話をしていたんだったか?」 「人生の一番古い記憶を覚えているかという話だ」 「ああ。そうだった」 「私は、自分が覚えている一番古い記憶はここなんだ」 目の前のソメイヨシノを指さす。そうだろうなと予想はできていた。というかそれしかないだろうと思ってもいた。 「もちろん、全てを覚えているわけではない。その記憶で私は目の前に大きな桜が立っているのを見上げていた。今夜のように星空が一面に広がっていて桜の枝の隙間から満月が見えていた。月明かりに照らされた花弁が視界いっぱいに広がっていてそれは幻想的だった」 両手を広げて沙紀が言う。ソメイヨシノがサラサラと風に揺れて音を立てる。まるで沙紀の言葉を理解し答えているようだった。 「とても綺麗だった。心奪われたのは人生で二回しかないがそのうちの一回は間違いなくこの記憶の時だった。でもな。不思議なんだ。私は確かに心奪われて感動したはずなのに。記憶の中の私はこの桜をみて謂れのない恐怖を感じているんだよ。怖がり恐れているんだ」 「不思議だな」 「……桜の樹の下には屍体が埋まっているという話を知っているか?」 「梶井基次郎」 「意外だ。知っているのか」 「たまたまだよ」 「はっはそんなに謙遜するな。私はお前がそれぐらい知っているだろう博識だとは承知していたとも」 「人を無駄に褒めるのはやめてくれ」 「照れるな。照れるな。私は照れているお前も好きだがな」 「勘弁してくれ」
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