桜とスニーカー

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「北川隊員ですか。彼は、チョコレートの食べ過ぎで、体調を崩しました。よほど、美味しいチョコだったのでしょう。というわけで、パトロールはわたしひとりです。ところで、山田さん、きょうはスニーカーを履いているでしょうね。タイホですよ、タイホ!」  丸山は嬉しそうに儂の足元に視線を落とした。  儂は下駄履きだ。さあ、小僧、どう出る? 「眼鏡のフレームを変えたのですよ。そしたら、とても軽くて、明るくてね。  山田さん、お酒飲み過ぎないように。では、失礼」 「おい、儂をタイホしないのか」  丸山隊員が立ち去ろうしたので呼び止めた。 「どうしてです?あなた、スニーカーを履いてるじゃないですか。ピンク色のかわいらしいやつを。おそろいですか」 「なに? ははあ、効果あったみたいだな。しめしめ」  儂はほくそ笑んだ。眼鏡フレームのワイロの効き目があったのだ。チョコレートの食い過ぎだって?それも、ワイロのおかげだな。  ひひひ。  改めて、儂は自分の足元を眺めた。下駄履きをスニーカー履きと見間違ってくれるとはな。  花見の宴会は楽しく終わった。  集まった友人たちと別れの挨拶を交わし、一緒にいた板場の若い衆のにもねぎらいの言葉をかけて、一日が終わったのである。  昼間は温かった日差しも、夕方になると少し冷たい。  酔いで火照った体を冷やすにはいい塩梅かもしれない。儂は下駄を鳴らしながら、家路をゆっくりと歩いた。  客も若い衆もいない店の中はがらんとして暗かった。  この店を任されて、もう五年になる。ひたすら働きまくって、気がついたら、五年経過していたというところか。  女房も子供もいない。ひとりになれば、ただの時代遅れの中年男だ。  客席の椅子に座り、大きく伸びをした。  明日から、また忙しい毎日が始まる。桜はまだしばらく咲き続けるだろう。あと、一回くらいは花見に行けるかもしれない。  儂は下駄を見た。  いつかはスニーカーを履かなければならない。そういう時代なんだ。  その時だった。店の格子をノックする者がいた。  営業中と勘違いした客かな。儂は腰を上げて、格子扉を開けた。  グレーのジャケットを着た若い長身の男が立っていた。  アルパカ探偵局の零門幹也だった。
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