既視感

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普段雫と一緒にいるときにはタバコを吸う事も、触ることもしない猛。   雫は猛が喫煙者ということも知らないかもしれない。 予告なく突然家にやってくる雫。   その彼女が部屋でタバコを吸う猛に気付かないのは、猛が子持ちのお父さんの如く、窓際で蛍族をしているだとか、タバコを吸った後にきちんと手を洗って指に絡み付いていたタバコの臭いを消していたりだとか。   そういったことを徹底していたからで。   それほどに猛は雫に対して気を使っていた。   別に隠しているわけじゃなかった。   ただ、以前自分の兄である良一郎に対して雫が言っていた言葉を覚えていたのだ。   『良ちゃんタバコ臭い。嫌いなのよ、それ吸ってもいいけど近寄らないで』   別に自分に言われた言葉じゃなかった。   でも、その当時からタバコを吸い始めていて、さらに雫に対して好意を持っていた猛にとっては、意識せざる終えない言葉でもあった。   そんな猛が部屋にヤニ臭い匂いが染み付くのを気にせずに、タバコを吸いまくっているのには理由があった。   ストレス   こうも長い期間、雫に会えない、連絡さえしない、なんてこと今まで一度もなかった。   雫に蕾をつけたのだ、ならば自分から連絡を入れてしまえばいい。   水を与えなければ枯れてしまう。 しかし、それも出来ない。   あの日、夜中に良一郎から電話があった。   聞けば雫に会ったという。   何をしたかは聞いていないが、何があったかはわかる。   そう言って受話器の向こうで笑う兄に、いつもなら不機嫌になっていたところだが、猛は機嫌がよかった。   何を言われても聞き流すことができる。   そう思っていた。   思っていたのに。   『雫の奴な、泣いてたぞ。お前が怖いって』   冷たいものが鳩尾に落ちていった。
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