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翌年の1558年は宝米のブランドが京だけではなく、東は関東、西は中国四国まで広がり、松平家は密かに資金を貯蓄しています。今川家へ付け届けなどをしなければなりませんが、岡崎屋の店主に言って少ない金額の帳面を作らせ、今川への提出用としてそっちを提出しています。
あまりにも儲けすぎていると思われる軍役やら色々面倒なことにもなりかねないので、そこは忠次さんと話し合って提出する金額を決めました。
実際の儲けは今川に提出する金額の5倍の利益で、今はその利益を使って農業の大規模事業を行おうかと計画しています。
今のままでも十分な利益が出ますが、松平の国営化とした広大な農地を開拓して、各村々の者を雇入れ給料を払う。現代の企業経営を元にしたものにしようと思います。
もちろん、そこで働いてくれるものには年貢の控除などの優遇措置を行ったり、農地を持ってる地主からはその地を高く買い上げるなど、領民にも慕われる農業経営を目指します。
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