桜、サクラ、さくら

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桜を描いていた。 ベンチに座り、池の近くの一本の桜を、僕は描いていた。 周りには、いろんな人がいる。 ランニングをしてるおじさん。犬と散歩中のお姉さん。親とキャッチボールする男の子。 でもスケッチブックには、池と桜しか描いていない。 人を描きたくないからだ。 幸せそうに笑う人を、僕は描きたくない。描きたくないし、描けない。 幸せそうな人が羨ましくて、恨めしい。 だから僕は、人を描かない。 鉛筆一本で、池と桜を描いていく。 するとそのとき、桜の近くにいる少女に目を惹かれた。 どこか悪いのか、車椅子に乗っている。 この公園の近くには、病院がある。きっと、そこの入院患者だろう。 向こう側を向いていて顔は見えないが、きっと僕と同い年くらいだと思う。 ‥‥‥なぜだろうか。 彼女のことを、描きたいと思った。 人を描きたいなんて思うのは久しぶりだ。 僕は彼女に気づかれないように近づきながら、彼女の顔が見える場所を探す。 だがそのとき、彼女がばっとこちらを向いた。 ーー誰? 薄い唇がそう動く。 本当は気づかれずに描こうとしたのだが、バレてしまったのだから正直に言おう。 僕は彼女のところまで行き、スケッチブックを見せる。 「絵を描きたいんですけど、いいですか?」 顔は僕の方を向いているが、目がこっちを見ていない。 これは断られるかもと思ったけど、彼女は了承したのか頷いてくれた。 僕は断られなかったことに安堵して、早速絵を描こうと鉛筆を手に取った。 ところが、彼女は移動しようと車輪に手を伸ばしていた。どうやら、 どいてくれようとしたらしい。 僕は慌てて車椅子の肘掛を掴んで、 「大丈夫です、ここにいてください。お願いします。」 と、必死に頼んだ。 彼女は目を合わせてくれなかったが、わかりました、とここにとどまってくれた。 僕はいい場所を見つけ、その近くのベンチに座って鉛筆を構えた。 人を描くのなんて久しぶりだから、うまく描けないかもしれない。 それでも、僕は一生懸命に鉛筆を動かした。
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