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北海道にアメリカの炎は届かなかった。
ヤルタ協定の元、すでにスターリンは樺太と、占守島以南・国後歯舞諸島以北の千島列島を手にし、9月4日には北海道に進出した。
北海道は占守のような戦場とはならなかったものの生き残った日本人はソ連による支配を好まず、北海道臨時政府は東南アジアへの移民計画を立案し北海道を脱出。
だが彼らを乗せた八雲、こがね丸、鵜来、粟国の四隻は太平洋上で襲撃を受け海の藻屑と消えた。
ソ連崩壊までの長らくの間北海道では社会主義政策が続き、残った日本人やアイヌ部族たちは圧政に苦しみ、度々叛乱を起こす。
この頃ヒダカのコロイフキと名乗る男が王統国家建設思想を掲げ、ロシア連邦移行時にエリツィンは北海道を手放すと同時にこの王制国を承認。
国王コロイフキ、最高議長河東タダシによる立憲君主制王国、「北加伊道」が出来上がった。
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